『東京おわせ会』番外編、同級生。

 東京おわせ会の懇親会会場では、輪内中学校卒業以来という古江町出身の同級生とも声を掛け合うことも出来たが、今回の出席で楽しみにしていた同級生が他にもいた。

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 上の写真の右側にいる下地敏邦氏である。小学生から中学生時代までよく遊んだ、いわば竹馬の友のような友人である。
 小学生の頃は、二人で三木崎の近くにある頼母地区までメダカやドジョウを捕りに行ったりハトや小鳥などを飼い比べしたりした仲でもあるが、当時のことを言えば理科系とか工作系が彼は得意であったと記憶している。中学校の卒業から道はそれぞれ分かれた。よく群れていた2学年先輩の川口拓男氏も桑名市で市議会議員となられ活躍しているが、下地敏邦氏も栃木県大田原市で市議会議員としてトップ当選するほどの活躍をしていましたが、3期務めるとあっさりと辞めてしまったという、穏やかそうな見てくれとは違い豪快な漁師町の血を引く三木浦人である。まあぁ・・・、三木浦人は一概さでも有名であるが、この人の正義感や真面目さなどの生きざまには、小生の数少ない尊敬すべき、またいつまでも変わらぬイメージ(青春像)を抱かさせてくれる友である。

 彼の議員時代には、委員会視察や政務調査視察に三重県近辺に来ていただいており、2度も尾鷲市を視察に指定してくれたり、結構ふるさと想いのところが議員仲間を説得していたようで、小生は視察の案内役としてお付き合いをさせていただいたのである。平成9年頃の視察時には、視察報告書の冊子を委員会で作成し送ってくれたりしている。
 会社(東芝)勤めの現在は、わざわざ尾鷲ヒノキを大田原市まで送らせ、その材料で自宅を建築することに余念がないようであった。ちなみに、奥村新産業創造課長の義兄にあたる。

 わざわざ、東京おわせ会に出席するために栃木県から出てきたようであったのに、懇親会の短い時間と小生の立場上、会場全体を動かなくてはならなかったことから、久しぶりに会えた割には懐かしさを親しく語るほどの間もなく、どちらかと言えば気を使わずいたので、後になって惜しいことをしたと悔やんだ。そして、懇親会の終わり頃には、いろいろな人にお礼やらお別れの言葉やら掛けているうちに見失ってしまい、2次会へ誘う余裕すらなかった・・・


 写真左は在郷の同級生、榎本順一氏です。彼との接点と言えば、「同時期に尾鷲高等学校で学んだ」と言うだけの関係で、「カーネル出版」という時代の寵児として、彼の日の出の勢いの如く活躍ぶりに、「同級生にこんなに凄くて生意気なヤツがおるんやぁ・・・」と一時期、尊敬やらその傲慢さ(あくまで、こちらの勝手なイメージ)に、いつまで続くのかいなぁ・・・と思ったりしたような遠い昔が残像としてあったが、彼の一時期の挫折・・・前後の人生について、これなども殆ど知らないのである。

 彼と会話をするきっかけとなったのは、ここ何年か、議会の傍聴やらにきて顔を合わせ、そこは同級生と言うことで一言二言と語るようになった。今回の東京おわせ会への参加は、新会長となられた米田 実氏の尾鷲中学校柔道部時代の後輩ということで誘われたようだったことと、彼自身の東京でのビジネスもあり参加とのようだったが、彼も新たな東京おわせ会を祝福しているひとりでもあった。

 そんなんで、生い立ちは違えども同級生と言うことで、下地敏邦氏を紹介し親睦会を楽しんでもらった。


 下地敏邦氏は、前幹事長の下地義久氏と同じ性でも分かるように、先祖のルーツは、最近、地元で隠れウォーキングコースとして人気場所となりつつある三木浦の盛松地区である。

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  by mikikazu82 | 2009-04-08 13:16 | ミキカズの四方山話

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