行政改革と機構の見直し

 行政改革が具体的に始まったのは、確か杉田市政時代であった。職員数も多く、特に市長・助役、及び会計責任者である収入役といわれる三役がいることから、市の機構は、職員や財産管理、或いは法制部門の総務課、政策と広報部門や秘書を配置する企画課、財務や契約部門の財政課が総じて市政運営の機軸のようであり、市長室がある2階フロアにそれぞれ構えていて業務が分かりやすかったし、議会本会議へ出席する課長もそれぞれいたので対応も明確のように思う。

 その後、行政改革に伴う人員の削減が始まろうとしているさなか、伊藤市政は逆転の発想のようなかたちで総務部門と福祉部門と事業部門に分けた部長制を取り入れ、助役の下、部長との連携で政策会議の中で施策の優先順位など所管の課を纏める民間的手法で市政の推進を狙ったものだったが、規模が縮小される傾向の中で各課長が所管する課のことを独立採算的に業務を行ってきた長い歴史があり、議会からも効率の悪さなどの指摘もあり、部長を廃したグループ制を導入することになった。

 このグループ制は、当時の北川三重県知事が取り入れ、全国の自治体がこれからの機構のあり方と注目を集めたものであり、理論的には理想に近いものであったが実際は対応が何パターンもあり、複雑さが人材的に対応することが難しかったことが結果として残ってしまった。当市においても対応できず、企画部門と財務部門の統合や水産部門の農林部門の統合、或いは環境部門と清掃部門の統合など、結果的には課の統合により業務を明確にすることで全職員に浸透するという単純な機構改革が馴染んだようである。現在の統合した部門の中で業務の所管変更が行われ課は大きくなったが人員は減少しているのである。

 今回、市長が不在中に会計管理者である出納室長が、年度の途中で普通退職し空席となっていた市長公室長(政策部門と財務部門を担当)を兼務するというなんとも矛盾した人事をおこなっていたことから、新市長就任後、即時に人事異動を行ったのであろう。

 もう一点分かったことは、市長公室長とは機構の中で市長秘書業務や政策部門と財務部門を受け持つなどトップの位置づけながら、市長職務代理者が総務課長とされている矛盾も浮かび上がってきた。隣接する熊野市などは市長公室長はいわば部長級として副市長に次ぐ位置づけが明確であり、この機構をしいた当時の伊藤市長に内々でこの点を指摘した経緯がある。

 現在の市長公室長は、財政経験者でないと就けないポジションとなっており、職員数が減っていることや、長野市政時代に7年間も職員採用を行っていない後遺症として、4~5年で当市の行政全体に人材不足(管理職部門の人員が不足する)という深刻な問題が浮上してくることが否めないのである。そのことから、市長公室長を部長級にすることより、財政と契約部門を独立させ、総務部門の中に秘書や広報部門、職員や財産管理部門と政策部門を置き、市長公室などは廃止するほうが将来的に人材の登用に柔軟性を持たせられるように考えられる。

 財政不安の中では、産業振興や住民福祉の向上と財政健全化を並行して施策を進めなくてはならず、そこには行政改革の必要性があり、尚且つ機構の見直しも生じてくるハズである。

 岩田市長が初めて本会議入りする第2回定例会で、どのような所信表明をするのかがこれからの4年間の市政推進の指針となる。そのことの重大さを意識して何人の議員が一般質問を行うために登壇するのか・・・である。

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  by mikikazu82 | 2009-08-01 08:47 | ミキカズの四方山話

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