【世界遺産】熊野古道/八鬼山道の落書きが消えた・・・
今日の視察は、委員7人(1名欠席)と小生、そして執行部からは岩田昭人市長や教育委員会から岩出総務課長と、これらの案件を所管する川端生涯学習課長ら担当職員3人が説明役として、総勢13人で熊野古道をトレッキングしながら、おおよそ1時間30分くらいかけて目的地点をチェックした。
ここは、籠立て場で樹齢300年以上のヒノキに書かれてあった、「地権者の抗議文」と言われた、いわば一般の方が言う落書きの消された跡をみんなで見ている。 以前の写真を見ながら・・・
視察は、八鬼山道と棚山林道が交差する地点から七曲り向かって200mくらい登ったところ(これまでよくテレビなどで映し出されていた)から、現状を見た。
第7代目である岩田昭人市長も、ヒノキの修正された部分(5~6年で皮が抜け替わるそうである)をデジタルカメラで記録していた。
ちなみにこの場所は、伊藤允久氏が第5代市長として、初めて熊野古道に出かけ、八鬼山道を九鬼へ向かう峠辺りから下ってきて、メディアの質問を受けたところである。
この辺りは、苔むす石畳や石碑など見所のあるところでもある。
棚山林道まで戻り、また、そこから八鬼山道を下ると・・・、今度は、第6代市長に就任した奥田尚佳氏が、問題解決に意気込んで視察に来た辺りである。
残念ながら、この後、何の進展もなかった・・・
木や岩など約400箇所にあった地権者の抗議文については、峠近くの一部を除き、木は皮を削ぎ落としたり同色の塗装をしてあり、岩は磨き落としたり色を上塗りして文字が消されていました。
今年6月に山林所有者が「森林組合おわせ」の組合長に就任したことを機に、自ら抗議文を「森林組合おわせ」に委託して取り消す作業に取り組んでくれたもので、諸事情で遅れたが今日は委員会で現状把握に出かけたのである。
蛍光塗料で書かれていた抗議文が無くなって幾分和らいだ雰囲気になったような気がした・・・、書かれていた文字を取り除くための塗装が残るが、あとは歳月が違和感を無くしてくれるよう期待するのである。
この辺りは石畳も美しく、市内中井町から矢ノ浜へ通ずる熊野街道(一部東邦石油工場で途切れる)から入山して熊野へ向かう参詣道で、現在は桜の名所/玄久山の西側に登山口があり、棚山林道辺りまでの体験コース(ツーデーウォークのコースにもある)として、熊野古道センターや夢古道おわせと併せて、もっと活用していただきたいものである。
この石畳を下って、街が見えてくる真砂地区に江戸時代から大正時代にかけて、尾鷲でも特産品として杉葉線香が作られたいようで、その工場跡や動力としていた水車跡などを視察した。
石積みや水車跡など総て手作業で整備されていて、当時の様子がいまだにそのまま残っている・・・、この真砂線香工場は向井村領内にあり、動力の水車を回す水は矢ノ浜村領内の真砂川から引いていたようですで、水の使用料を両村へ支払っていたことが記録に残っているようです。
跡地は、江戸時代の石工による石積みで水路や建物跡、階段などがはっきりと分かり、その広さは南北130m、東西50mにも及び、写真のように見事な遺構が残っています。
林業で財を成した土井家が創業したとのことで、樋ノ口地区にも在ったようです。
上の右写真は、水車跡で手前の堀がかなり勾配のある水路跡である。
今回も林道から下るコースで視察をしたが、下の写真が玄久山からの入山口である。人工的にではあるが、天台烏薬の木が群生している。
左写真の花は、天台烏薬とはなんら関係ない・・・
again 八鬼山です・・・
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by mikikazu82 | 2009-09-11 20:30 | ミキカズの活動日記