第5代尾鷲市長 伊藤允久氏逝く。

 平成12年4月から同20年4月まで2期8年、第5代尾鷲市長を務めた伊藤允久(いとう・まさひさ)氏が昨年12月30日12時30分胸腺腫のため津市の藤田保健衛生大学七栗サナトリウムで死去、享年57歳。

 12月半ば過ぎに彼の容態について様々な情報が・・・、そしてそれを知ることになったのは、暮れに小生自身の墓地にいるときの友人の電話からであった。そして、対面したのは彼が帰らぬ人となって自宅で眠っている姿であった

 3選をめざした市長選前に体調不良を訴え尾鷲総合病院や山田赤十字病院で検査の結果、胸腺腫と診断されていたようであるが、多くの支持者が知りえないまま選挙に出たのであった。もちろん小生も病気の事を聞かされぬまま応援させていただいたが選挙結果は惜敗という、本人にとっては3選が果たせなくその後は悔やんでも悔やみきれない思いの日々であったろう。

 小生が病気をことを聞くこととなったのは、彼が市長として最後の議会(3月31日に開催される先決事項の報告のための全員協議会)へ出席する、1~2日前の彼の自宅でのことであった。

 「何故、病気を押してまで選挙に出たのか!」と低い声で問うたが、彼には自分が仕掛けた施策の行方を自身で確認したいとの思いが強かったのであろう。・・・多くを語らなかった。また、病気については公言しないで治療に専念することを進めたのだったが・・・
 そして、電話以外では、1年近かくなるだろうか、それくらい前に治癒することを信じて闘病する彼の姿を見たのが最後であった。彼の体調如何で3回目の選挙に出るとか、出るべきではないとかを決断するときがあったのだろうが、小生はそこにはいなかったし、病気のことを知らなかったわけで、いまさらその時点のことを知る必要も無くなったが、彼の使命感から3選を果たしていたとしても、結果は命を削ることになっていたと考えられる。もう、そんなことなど考えずに安らかに永遠の眠りについてほしいと思う。

 彼の実績については、財政危機宣言を発令し行財政改革を断行したことは大きく評価すべきものがある。その反面、財政を立て直すとことをしながらも、これまで先送りされていたし尿の陸上処理場整備や矢の浜浄水場などの生活のためのインフラ整備をやりとげ、併せて、尾鷲総合病院の透析棟の整備や産業のインフラ整備として行われた海洋深層水取水事業など大型事業を積極的に遂行し、彼の目指したまちづくりが始まろうとしていた。
 これらの成果については、後の時代で語るときがくるであろうと思う。しかし、防災対策では、特に地震・津波対策については、国の目をこの地域に向けさせた功績は特別、大きなものがある。また、中川悪臭問題解決も誰もが当たり前といえること、そう地域住民の安心して暮らせる生活を取り戻した功績も大である。

 しかし歴史は動くのである・・・、これから農商連携など地場産品を素材にした集客交流事業をスタートさせようとした矢先に、第6代市長へと替わらざるを得ない事態(選挙)となり、その結果、尾鷲市政は著しく混迷し続け、いまや第7代目の市長が誕生して市政は運営されている。

 その第7代目となった岩田昭人市長は、仕事始めの訓示で「伊藤允久氏の冥福を祈るとともに、市政進展に尽くされた彼の決意を継承することを誓う」と述べていることから、新しいものを始めるよりも今のものをより良くしていくことだと、前々任者の功績を讃えたと理解した。

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 故人も愛してやまなかった尾鷲の港と町、夕暮れ時である。今は、ご冥福を祈るのみである。 

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  by mikikazu82 | 2010-01-05 21:35 | ミキカズの四方山話

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