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「オイランエー」だった!

 25日付けのミキカズ日記での「ホイライエー」は「オイランエー」であった。そして小生が観たそれは、正確には昭和56年9月の八幡神社祭礼のもののようである。
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 これがその時の写真で、川原町大倉自転車屋さんのご子息のものである。
写真のようにその衣装から「オイランエー」は「花魁えぇ・・」なのではないか?  その花魁を模擬たのではないかと思うほどなのだ。しかし、長袖の白い下着の腕が・・・

書物によると【花魁】という言葉は、姉女郎をさして「おいら(己等)が」といって呼んだのに基づくという。のちに、江戸吉原での言葉に転じたらしい。



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 この1枚は、かなり古い時代の新町もので、振り付け役(ヤマカツの先代さん)と子役(山崎のトッちゃん、現在60才を過ぎたくらい)の写真である。







 


 この1枚は、現在50才くらいの人物のもので、道中を山車の上で音頭に合わせて舞っているものである。
「オイランエー」だった!_e0111346_21353046.jpg

 尾鷲の隅々には、アーカイブズに残っていてもよさそうな貴重な祭りや芸能等の文化があったような気がする。新しい文化生活の中で、これまでの文化が置き去りにされたり、忘れられたりするものがある。気がつけば生きてきた証のはずの尊い財産を、失ってしまっているような気がしてならない。

  by mikikazu82 | 2007-02-27 21:51 | ミキカズの活動日記

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