名参謀と名補佐役って・・・

 読売新聞(7/28付)を読んでいると「日本の知力」と題したシリーズが載っている。現在は第4部で、サブタイトルが「天職で考える」となっていて、1件が中選挙区から小選挙区に変更したときの理論武装を行なうこととなった時に、非自民の7党(8会派)連立内閣(1993~94年)の細川護熙首相(日本新党代表)秘書官で、小選挙区数について「ちゃんと理屈があり、落しどころに近い数字が必要だった」とのことから、当時、国会図書館職員から抜てきされた成田憲彦氏(現:駿河台大学長)が取りあげられていた。

 常にイエスマンとして一体化するのではなく、時には苦言を呈し正しい方向へ導くことや細かな判断は秘書官が担い、首相は長期展望の実現を目指す。役割を分担することで大きな仕事ができる・・・と行き着いた秘書官論と、のちに成田憲彦氏はインタビューに答えている。


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 もう1件は、小渕内閣時に経済企画庁(現:内閣府)長官を務めた堺屋太一氏である。

 


 小生が語るまでもなく、小説を書く方なので歴史は当然のこと、史実に基づいた言葉で論じられていることが転載した記事(読売新聞7/28付)からも読み取れるのである。
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 豊臣秀吉を例に取り戦乱期には黒田勘兵衛のような参謀を、政権が安定すると法規や財務に明るい石田三成らを補佐役に、そして日本史上の名補佐役は秀吉の弟・豊臣秀長だと言い切っている。理由は、理解力があり、人の好き嫌いがなく、迅速に行動ができ、無個性だったことをあげている。まぁ、後継者でなく「永遠のナンバー2」だったからでもある。

 
 秘書官であれ参謀とかであれ、トップに立つ人の影の部分を支える重要な役割を担う補佐役がいるのである。奇しくも本来ならば奥田尚佳尾鷲市長も議会運営委員会が開催される今日、その補佐役(副市長)の選任同意を求める議案を用意していたはずであったが、與谷公孝議長に取りやめを報告してきたことが新聞で取りあげられていた。

 歴史的にみても、どんな名将にも補佐役とか参謀の存在無くして歴史は語れないようある。やはり智将の誉れは人事のようである・・・

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  by mikikazu82 | 2008-07-28 09:03 | ミキカズの四方山話

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