三木小学校運動会へ行ってきました。
それでも運動会は始まった。午前中は母校である三木小学校(野間修治校長、生徒数 20人 ・ 5学級)へ行ってみた。小生らの時代は、上級が団塊の世代であり中学校(分校)が併設していたのと遠洋かつお船のが帰港する11月に行なわれていたので、運動場一杯に人が溢れていたように思う。その後中学校が輪内中学校へ統合されたが、毎年11月3日には、この運動場で三鬼陽之助(故人)先生を迎えた町民運動会が盛大に行なわれ、三木浦町民のほとんどがここへ集まっていたように思う。それだけ思い入れが強く三木浦パワーを象徴していた年中行事でもあった。
そんなことを考えていると少しばかりさびしい限りであるが、それでも小規模校となっても「われら海の子、三木浦の少年少女われら!」は頑張っていた。
※ちなみに「三木小学校の校歌」は、諸般の事情などで若くして三木浦を離れられた三鬼陽之助先生が、故郷での自身の少年期を思い浮かべて詩を書かれたものだと思われる。
漁師町ならではの大漁旗リレーである。長靴とゴムのカッパではないが、法被姿で応援歌も「♪兄弟船」でした。
少し遅れたのと天候のせいで競技は予想以上に進んでいました。開会式は元より幼稚園から6年生までのかけっこや徒歩競争がすでにすんでおり、中学生(輪内中学校/三木町の生徒)によるエイサーが始まるところであった。
都合悪くて輪内中学校の運動会は見学に行けなかったが、このエイサーは人気が高いようである。
児童控えのテントです。幼稚園と併せてほぼ全員のようですが、小規模校は小規模校の行き届いた教育と言おうか児童一人一人の性格や特長を把握した指導が生きてきます。そんなんの一つとして全員が一輪車に乗れます。
また、高学年に交じって低学年の児童でも達人(これは愛嬌!)となると片足乗りや後ろ乗り、8の字走やジグザグ走などを披露して大喝采を浴びていた。
↑左は全校児童の綱引きです。
↑幼稚園児の競技です。
↑もちろんソーラン節踊りも、一年生から全校児童で・・・
↑中学生のリレーもあります。
少し早めの昼食です。どこの家庭もあげ寿し・巻き寿し・アジ寿し(サンマ寿しより旨いかも知れない。背開きのアジを一晩くらい酢に漬け、そのなかに酢飯をいれる)があり、あとは魚ご飯とかにぎりめしで、いろんな旧知の方々から声をかけていただき遠慮すること無く呼ばれるのである。旨かった!
全児童が自分自身の目標を立て、そこに向かって突っ走っていた。頑張れ後輩!頑張れ三木浦の少年少女・・・
もっと居たかったのだが、午後は尾鷲小学校へ・・・
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by mikikazu82 | 2008-10-05 21:50 | ミキカズの活動日記