西行の歌枕の地、三木浦。

 昔の有名な家人が和歌を詠んだ土地のことを歌枕の地というらしい。俳聖といわれる芭蕉が東北から北陸を巡った「奥の細道」の紀行にでたのも、西行(1118-1190、裕福な武門の出で宮中に仕えた武士であったが23才で出家。その理由は定かでないようであるが、後に高野山へ入り、伊勢、熊野、吉野を旅し、陸奥や四国へと・・・、生活体験に基づく清澄ば自然詠が多く新古今和歌集には94首もとられ、自身の歌集が山家集がある)をはじめとする昔の歌人たちの歌枕をたずねるのが最大の動機だったといわれる。

 実は、芭蕉もあこがれ、歌聖と後世の人々に慕われる西行歌枕の地が尾鷲市にもある。それが三木浦である。

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 (三木浦地区は古来、絶好の風待ちの港として知られていたようである)
 
 西行は歌人として諸国を放浪し、「願わくは花のしたにて 春死なんそのきさらぎの望月のころ」という自作の歌の通り、旧暦2月16日、桜花の散りしきる中の大往生であったという。

 その西行が高野山から新宮に出て、さらに、木の本、二木島を経て伊勢二見浦に仮の宿を結んだのは治承4(1180)年のことである。この新宮から二見に至ったコースは、二木島辺りから船を利用したといわれている。

 西行がのこした歌集「山家集」のなかに、「新宮より伊勢の方にまかりけるに、みき島に舟の沙汰しける浦人(漁師)の、黒き髪は一筋もなかりけるを呼び寄せて」という詞書に続いて、三木浦にて年経たる 浦の海士人 言問はん 波をかづきて 幾世過ぎにし」「黒髪は 過ぐると見えし 白波を かつぎ果てたる 身には知れ海士の2首を収めている。

 風向きの良くなるのを待つ間、船の世話をする老いたる漁民の姿を見て詠んだ歌である。

 三木浦地区は遠洋漁業の基地として栄え県内有数の港であるが、八百年以上もの昔、歌聖西行が立ち寄り2首ものこしていった由緒ある歌枕の地である。

 数日前に高野山へ行ったことや昨日の三木神社の祭りで海へ出たことなど、感覚的にいにしえを辿ったような気がした。

※この文は、『【古道散歩】世界遺産とその周辺』と題した紀北民俗研究会会長 小倉 肇 氏のものを記載させていただきました。

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  by mikikazu82 | 2008-10-14 09:46 | ミキカズの四方山話

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