「大変やなぁ・・・、頑張ってやぁ!」です。

 3日から行なっている挨拶回りであるが、小生にとっては副議長の立場と合わせると4度目の機会となる。

 副議長として議長の後について回った頃(平成12年、平成13年)や、平成16年12月に初めて議長として挨拶回りをした時とはあきらかに感触が違っていると思った。挨拶回りで一番大きく感じることは、地元経済の現状とこれまでの基幹産業であった漁業・林業の深刻さなどや、市の財政不安、そして奥田尚佳市長と議会のギクシャクしている関係を問われる話ばかりで、議員個々の問題やお世辞にもお祝いの言葉などかけていただくような雰囲気で全くないことを痛感した。圧倒的に「大変やなぁ・・・、頑張ってやぁ!」です。感じたことは、「何を行なうにも市民の皆さんの信頼感を得ることが肝心やぁ・・・」です。
 
 平成16年に議長として選出いただいた時は、隣町などとの行政合併が不発となり大きな責任を感じた議員有志からの推挙であった。県民局の撤退など、地方における持続可能な自治体創りの出発が、財政的にも単独設計のなかでまちづくりをしなくてはならないと意識が強かったのも確かであったが、その後、尾鷲総合病院へ医師を派遣してくれいた三重大学から産婦人科医が総て撤退するなど、地域医療の不安解消のために当時の伊藤允久前市長と国や県、或いは大学へ奔走したことが今でも脳裏に残っている。
 そう言ったことから出張も多く、議長として推していただいた友好的な議員の皆さんの理解と、当時の副議長だった神保美也議員などは国家老の如く、議長と局長が不在がちな議会の諸々の対応をこなしていただいたようなありがたい存在だったことが記憶に残る。 

 副議長当時は、当然議長(山城正嗣氏、内山鉄芳議員)が上にいるわけであるから、その補佐を行なうことと議会運営を学ぶことに徹したような気がする。
 それまでにも議会運営委員として参加させていただくことも多かったが、今の自分があるのも当時の会派(南 靖久議員が会長を務めていた市民クラブ)活動の中で、2年続けて副議長として推挙いただいたことが、議会運営のノウハウを会得し議員としての引き出しの中身として収めることになったと言っても過言ではない。

 小生、物事への関心深さとのめり込む性格から、与えられた機会には徹底して達人の技とか、マニュアルを会得する向上心に富むのである。(笑)

 そして今回の議長としても、市長が奥田尚佳氏が替わり、現状における議会との関係からくる市民の損失感を取り除くことが使命のひとつでもあると痛感した。市民益、市民益と叫んでも執行権を持つ市長を動かしてこそ、市民のためのまちづくりとなるのである。

 小生、青年会議所に加わったことなどないが、この組織の標語の中に「変革の・・・」がよくでてくる。「全国尾鷲節コンクール」や「紀北町の中野さんのタイでの事業特集」などを手伝っているうちに学んでしまったようで、変革なのか節目なのか分からないがそんな年回りにそれに取り組む役職を与えていただいているようで、人生の試練と奉仕の気持ち、そして感謝を忘れずに諸問題解決に努めようと思う。

 何事も、「井の中」の蛙にならず、物事の始めである「大海」にいる市民の皆さんとの信頼関係を構築することをベースに考えて行きたい。

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  by mikikazu82 | 2008-12-05 06:21 | ミキカズの四方山話

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