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幻の里、元盛松へ行く(平家落人伝説の謎)

 尾鷲市郷土資料館長を務めた伊藤 良氏(故人)が昭和50年10月に編集発行した「おわせの浦村※1」によると、元盛松(もとさがりまつ)について、大きな老松が寺や村落を覆うように掩うように垂れ下がっていたので下松(さがりまつ)と名付けたのでしょうと記している。慶長6年(1601年)の検知のとき、「下松浦には27戸も家があった。」との記録が残っているようです。

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 その集落の一番高台に在った「海蔵寺」跡の石垣。

 三木崎半島の北側にある頼母(たのも)は枝郷といわれるが、この頼母には400年以上前の慶長のはじめころ、度会郡南島の人が4人移住してきて製塩をはじめたといわれている。その頼母で製塩していた人たちも、そのうち下松へ移って塩の生産に励んだとされ、年貢も米麦ばかりでなく塩も米に換算して納められたようである。

平家落人伝説の謎について・・・(「三木浦と神話伝説※2」上岡太郎書・故人)
 度会郡南島に八ヶ竈(はちががま)地区があり「落人伝説の旅」という本に、八ヶ竈はいずれも海に面して人目をしのぶにふさわしい深い入り江の奥にあり、この地方は漁業地でありながら八ヶ竈の村々に限り漁業権がなかった。八ヶ竈とは相賀竈・道行竈・大方竈・赤碕竈・小方竈・栃木竈・棚橋竈・新桑竈の八つで、先祖を平清盛-重盛-維盛-維盛の庶子(嫡子以外の実子)の行弘だといわれ、平家滅亡ののち落ちてきて潜伏した・・・と記述されている。
 そして、この八ヶ竈地区で農林業を営むも平地が少なく痩せた土地ばかりで多くは薪炭林ばかりであったそうだ。

・・・こうしたことから、元盛松浦の人々の伊勢平氏(平家落人)伝説の謎へとつながっている。

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 安政年間(1772~80年)になって、下松では縁起がよくないからと「盛松」に浦名を改めた。三木崎半島の北と南の臨海地帯に絶好の漁場(権利)を持っていたといわれる。

 奥地地区の屋敷石垣・・・

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 屋敷正門へ入る石橋(右手前)海蔵寺への通路(左側の階段)。

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 石橋の手前に石が置いてある。通行を禁止しているような気がする・・・

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 向かい屋敷の石垣

 石垣の石の大きさが目立つ・・・

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 漁場があっても荒磯のために船着場がなく、次第に浦の家数も減っていき電気もつかないことから、残っていた人たちが相談し昭和2~3年に全戸が現在のところ(三木浦このわ地区)へ盛浦(さがりうら)と名を改め移住した。

 ここから下地地区の屋敷跡

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 一番下(海岸より)に当たる屋敷の石垣の高さは他の2倍近くある。

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 上の写真の石垣下にお地蔵さんがある。
 帰り際、手を合わせる。

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 この先に神社跡の石垣や鎮守の森がある。

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 この集落の西側(熊野より)は絶壁となっており、それ以外の周辺は猪垣で囲まれている。

 この散策コースへは2度目の参加となったが、昨年も思ったことは三木崎へ歩き、そこから海岸沿いに元盛松へ行く道を整備してほしいと願うのである。聞くところによると、以前に在った道は誰も歩かないので木が覆い茂っているとのことだった。
 この道が通じると桜やヤブツバキなど春の時期もウォークできるのだが・・・


※1 元盛松に関することは、伊藤 良氏(故人)が編集した須賀利浦から梶賀浦までの23浦村(明治初年)の特色と市史余談(書き漏らしたこと)を綴った「おわせの浦村」を参照にしています。

※2 上岡太郎氏(故人)書の「三木浦と神話伝説」は(1)三木神社の祭神(2)伊勢平氏と元盛松(3)三鬼(新八郎)氏の出自の3編で構成されている。上岡氏は三木小学校の校長を最後に定年され、当時の三木浦町内会長で三木浦漁業協同組合長を務めていた大門道則氏(故人)意向を受け口頭伝記の取材や文献の整理をして編集されたものであるが、道半ばで亡くなられており、その当時の文献等資料は定かではないとのことを前町内会長の奥村重昭氏より伺っている。なお、内容の一部は尾鷲市史にもあるようだ・・・



Photo:Panasonic DMC-LX3

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  by mikikazu82 | 2010-11-21 21:39 | 尾鷲よいとこ四方八方

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