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幻の里、元盛松へ行く(平家落人伝説の謎)

 尾鷲市郷土資料館長を務めた伊藤 良氏(故人)が昭和50年10月に編集発行した「おわせの浦村※1」によると、元盛松(もとさがりまつ)について、大きな老松が寺や村落を覆うように掩うように垂れ下がっていたので下松(さがりまつ)と名付けたのでしょうと記している。慶長6年(1601年)の検知のとき、「下松浦には27戸も家があった。」との記録が残っているようです。

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 その集落の一番高台に在った「海蔵寺」跡の石垣。

 三木崎半島の北側にある頼母(たのも)は枝郷といわれるが、この頼母には400年以上前の慶長のはじめころ、度会郡南島の人が4人移住してきて製塩をはじめたといわれている。その頼母で製塩していた人たちも、そのうち下松へ移って塩の生産に励んだとされ、年貢も米麦ばかりでなく塩も米に換算して納められたようである。

平家落人伝説の謎について・・・(「三木浦と神話伝説※2」上岡太郎書・故人)
 度会郡南島に八ヶ竈(はちががま)地区があり「落人伝説の旅」という本に、八ヶ竈はいずれも海に面して人目をしのぶにふさわしい深い入り江の奥にあり、この地方は漁業地でありながら八ヶ竈の村々に限り漁業権がなかった。八ヶ竈とは相賀竈・道行竈・大方竈・赤碕竈・小方竈・栃木竈・棚橋竈・新桑竈の八つで、先祖を平清盛-重盛-維盛-維盛の庶子(嫡子以外の実子)の行弘だといわれ、平家滅亡ののち落ちてきて潜伏した・・・と記述されている。
 そして、この八ヶ竈地区で農林業を営むも平地が少なく痩せた土地ばかりで多くは薪炭林ばかりであったそうだ。

・・・こうしたことから、元盛松浦の人々の伊勢平氏(平家落人)伝説の謎へとつながっている。

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 安政年間(1772~80年)になって、下松では縁起がよくないからと「盛松」に浦名を改めた。三木崎半島の北と南の臨海地帯に絶好の漁場(権利)を持っていたといわれる。

 奥地地区の屋敷石垣・・・

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 屋敷正門へ入る石橋(右手前)海蔵寺への通路(左側の階段)。

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 石橋の手前に石が置いてある。通行を禁止しているような気がする・・・

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 向かい屋敷の石垣

 石垣の石の大きさが目立つ・・・

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 漁場があっても荒磯のために船着場がなく、次第に浦の家数も減っていき電気もつかないことから、残っていた人たちが相談し昭和2~3年に全戸が現在のところ(三木浦このわ地区)へ盛浦(さがりうら)と名を改め移住した。

 ここから下地地区の屋敷跡

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 一番下(海岸より)に当たる屋敷の石垣の高さは他の2倍近くある。

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 上の写真の石垣下にお地蔵さんがある。
 帰り際、手を合わせる。

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 この先に神社跡の石垣や鎮守の森がある。

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 この集落の西側(熊野より)は絶壁となっており、それ以外の周辺は猪垣で囲まれている。

 この散策コースへは2度目の参加となったが、昨年も思ったことは三木崎へ歩き、そこから海岸沿いに元盛松へ行く道を整備してほしいと願うのである。聞くところによると、以前に在った道は誰も歩かないので木が覆い茂っているとのことだった。
 この道が通じると桜やヤブツバキなど春の時期もウォークできるのだが・・・


※1 元盛松に関することは、伊藤 良氏(故人)が編集した須賀利浦から梶賀浦までの23浦村(明治初年)の特色と市史余談(書き漏らしたこと)を綴った「おわせの浦村」を参照にしています。

※2 上岡太郎氏(故人)書の「三木浦と神話伝説」は(1)三木神社の祭神(2)伊勢平氏と元盛松(3)三鬼(新八郎)氏の出自の3編で構成されている。上岡氏は三木小学校の校長を最後に定年され、当時の三木浦町内会長で三木浦漁業協同組合長を務めていた大門道則氏(故人)意向を受け口頭伝記の取材や文献の整理をして編集されたものであるが、道半ばで亡くなられており、その当時の文献等資料は定かではないとのことを前町内会長の奥村重昭氏より伺っている。なお、内容の一部は尾鷲市史にもあるようだ・・・



Photo:Panasonic DMC-LX3

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  by mikikazu82 | 2010-11-21 21:39 | 尾鷲よいとこ四方八方

三木浦地区での市政懇談会を傍聴する。

 岩田市長が行なう市政懇談会も、今日の三木浦地区と17日(水)に中央公民館での市自治会連合会の2ヶ所で終了することとなっている。

 我が出身地、三木浦地区での市政懇談会を傍聴しました。

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 市政懇談会は、その地区の代表者である区長さんや町内会長さんが挨拶し岩田市長が市政の一端を述べ、第6次総合計画策定の趣旨やコミュニティーバスの見直しについて説明し質疑応答に入る。

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 質問というより地区の要望が圧倒的に多く、新設される魚市場(荷捌き施設)に隣接して地場産品(養殖真鯛や定置網の魚類など)の加工と直売する施設の整備、コミュニティーセンター(憩いの家等)の早期整備、小学校の耐震化、そして第5地区の水門問題と集会所として教員住宅の提供、またコミュニティーバスの時間見直しについては高校生の通学にも配慮することや総合病院出前講座の要請、防災講座の実施などが要望された。

 岩田市長に対し「尾鷲をどうするのか」という大きなテーマとして、市長のビジョンを問うものもいた。市長曰く、「みんなが支えあって生きていく社会」と第6次総合計画のフレーズを語り、尾鷲らしい資源を活かした産業起こしと集客を考えている・・・、とのことであった。

 また、国や県に関係する問題として高速道路のトンネル掘削残土と雨天時の濁水や県営の海水浴場の修理についても、漁場の環境を守るためにと要望され、県等への改善要請を行なうことを約束していた。

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 漁師町、三木浦らしく地域経済には水産振興の重要性などの意見交換もあり、底引き(巻き網)漁に対する不安なども報告された。

 午後6時30分に始まった市政懇談会は地区住民40人が熱心に質疑応答するなか、予定された2時間が終わった。

 帰り際、上村町内会長らと話す。町内会として事業を進めること(市への要望等)について、小生らにも説明をしていただくことをお願いして帰路に・・・


 そう言えば、議会の懇談会も「議員定数と議会のあり方」をテーマに議会運営委員会主催として12月4日(土)、中央公民館で市自治会連合会単組会長に集まっていただき行なわれることが、午前中に開催された全員協議会で南議長より報告された。
 議会運営委員会でテーマを決めてとか議論されていたようであったが前回と何も変わらないようだ。議会運営委員会の議論を地元新聞で垣間見れば、「議会基本条例の制定」などの議会改革にせよ、議員定数の見直しにしろ、議会内での議論(方向性のきっかけづくり)が多少はあっても然りだったように思うが・・・、小生が心配することもないことか・・・



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  by mikikazu82 | 2010-11-15 22:29 | ミキカズの活動日記

三木浦の秋祭り

 三木浦町の三木神社で秋の例大祭がおこなわれたので、神事に参列するために朝から出かけた。

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 午前9時30分より大川宮司により神事が執り行われた。

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 大川宮司の祝詞奏上が終わり、町内会役員や漁協関係者、そして船主などが玉ぐしを奉てんして大漁と海上安全をお祈りする。小生も玉ぐしを奉てんさせていただく。

 神事が終わると関係者が社務所に集まり、お神酒をいただき、いよいよ神輿が町中を練り歩く・・・
 小生お茶をいただき、好物である漁師の味ご飯のおにぎりを1つ・・・

 いよいよ、神輿が・・・



 出発前に神殿前で・・・、そして鳥居をくぐり境内の外へ向かう。

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 大きい神輿は中学生が、そして小さい神輿は小学生が担ぐ。そのあとを稚児(小学校低学年や幼稚園児・保育園児など)が(宝)舟を引く。

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 漁協婦人部のみなさんは道中手踊りを・・・、三木浦小唄とか、尾鷲節で賑わす。

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 この前に子どもらによる太鼓の演技があったのだが、大勢でいただいた昼食後に、お神酒の程好く入った方と話を・・・、まぁ、小生は素面なのでどうってことはないものの・・・話は続く、これで太鼓の演技を見る機会を失ってしまった。楽しみにしていたのに・・・

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 三木浦の将来に期待すべき、こんな可愛い子どもらが祭りを楽しんでいました。また、そんな子どもらを見て大人らも楽しむのである。

 小生らの子ども時代は、どこの家でもこの秋の祭りには寿司やおにぎりを作り、特に船主などが祭りの一行に振舞っていたように記憶している。

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 楽しみと言えば、餅まきである・・・。この会場の横でも小さな子どもらやお年寄りたちへの餅まきもおこなわれた。

 そして祭りの最後は、漁船パレードである。

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 大漁と海上安全を祈願して、三木浦港内を三木神社へと円を描き幾度か巡航する。

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 漁船も15隻ほどで、以前の賑やかだった頃に比べると寂しくなってきたが・・・、それでも生まれ育った『ふるさとの原風景』に触れるたびに「この世の中の良きものの一つ」だと実感する。ふるさとの人々の暖かいまなざしは、いつまで経っても何ら変わることがない。

 神輿と宮司を乗せた船団は、このあと神宮さんと呼ばれる外海に近いところまで出向き、やはり大漁と海上安全を祈願する。最後は神社に神輿が戻り、祭りの終了を迎える。


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  by mikikazu82 | 2010-10-22 18:44 | 祭り・イベント・観光

三木浦町民文化展が開催される。

 市立三木浦公民館(上村紀美男館長)において、第18回町民文化展が開催されました。

e0111346_161135.jpg 公民館は三木浦漁民センター2階にあり文化展の会場は3階なので、高齢者の方には楽しみにくい施設で、エレベーターもないことから階段の上り下りは少し酷な感じがします。

 2階入り口正面には、椿油を抽出する器具等が展示されています。

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 3階の展示会場の入り口を一歩踏み出すと・・・

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 大作の数々が展示されています。

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 三木浦町民老若男女ですから、幼稚園の作品やら高齢者(91才)までのお楽しみ作品など、67人約200点が展示されており、展示間もない午前中の時間帯に行ったのだったが、他の地区の公民館関係者なども来場していました。

 すでに、相可高校の村林教諭の指導で取り組んだ鯛カレー調理法を写真で紹介していた。
 
 どこの地区でも文化活動は熱心のようで、人口数から見れば周辺部のほうが出展者が多いことになる。様々な文化活動に参加することはいいことである。

 今日は、お茶会も開催されており、小生も品良く、一腹・・・

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 一通りの観賞とおしゃべりをして楽しまさせていただきました。

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 大作ばかりだった・・・、明日も午前9時から午後3時までやっています。

 今日は、久しぶりの三木浦訪問なので、親戚やら、あっちこっちのひとの顔を見てまわる・・・

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  by mikikazu82 | 2010-03-13 16:32 | 尾鷲よいとこ四方八方

尾鷲市社会福祉大会がおこなわれました。

 第21回尾鷲市社会福祉大会が市中央公民館3階講堂で、主催者側として岩田昭人市長・高芝勇次社会福祉協議会会長などや、来賓として小生ら議会側から多くの議員が出席して、社会福祉の推進に貢献しその功績が顕著な方々に対する顕彰などがおこなわれました。

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 社会福祉施設及び社会福祉団体功労者として市長表彰された尾鷲民生事業協会の職員のみなさん。

 式典は、尾鷲市社会福祉協議会山嵜章司副会長(民生委員・児童委員代表)の開会宣言に始まり、国歌斉唱のあと岩田市長による主催者あいさつのあと、顕彰がおこなわれた。

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 左は岩田市長、右は大会宣言を朗読した高田大礼副会長(市自治会連合会代表)です。

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 表彰状を読みあげる岩田市長と社会福祉活動優良地区及び団体として市長表彰を受けた坂場地区・曽根地区の両福祉委員会。

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 表彰状を贈る高芝会長、右は社会福祉活動優良地区及び団体として会長表彰を受けた野地町地区福祉委員会。

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 社会福祉施設及び社会福祉団体功労者として会長表彰された長茂会・尾鷲民生事業協会・尾鷲市身体障害者互助会の職員のみなさん。

 なお、授賞式では代理出席や、他にも欠席だったが尾鷲市共同募金委員会の方などが会長表彰された。 


 顕彰のあとに、市議会代表として議長の小生と野田勇喜雄県議会副議長が祝辞を述べ、大会宣言がおこなわれ式典は終了となったが、第2部として「民生委員活動を通して思うこと」と題し、民生委員児童委員の大川勝由氏が、

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 そして、「僕の生きる道」と題して、ボランティア活動をおこなっている谷口勝章氏が実践発表をおこない、会場にいた人たちは熱心に聞き入っていた。

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 そして最後は、三木浦子ども太鼓の連中による和太鼓の演奏がアトラクションとしておこなわれた。

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 聴くたびに、「えぇなぁ・・・」と自賛です。小生が指導や演奏しているわけでもないので変な表現ですが、何と言っても後輩の三木浦の少年少女ですし、太鼓を揃えるのに少しばかり協力しているので、生みの親的な感情を含め応援して止みません・・・

 
 大会は予定より少し時間延長となりましたが、殆どの出席者が席を立つこともなく最後の和太鼓の演奏まで楽しまれ、横田浩一副市長の閉会の言葉で大会は終えた。


 確か今年で21回目ですから、4~5回大会では小生は市議会議員ではなく尾鷲市社会福祉協議会副会長として主催者側の席に座っていたのである。
 
 当時の内山太門会長に見込まれたというのか、手話サークルのグループくらいがボランティアの名称で呼ばれていた時代でした・・・、何故かというと、内山太門会長は当時、自治連合会会長や全国尾鷲節コンクール実行委員長をしていた小生に、国の補助事業であった「福祉のまちづくり21」をやらせたかったようでした。
 尾鷲市の福祉の夜明けは、この「福祉のまちづくり21」事業により小中学校のボランティアやボランティアグループの育成と連絡協議会の立ち上げ、スポーツ大会運営への支援、今で言う福祉弁当事業の試みや福祉ニーズに対するアンケート調査などを纏め上げ、新しい社会福祉協議会のスタートを切っており、その事業の成功後、まちおこしのイベントや祭り、或いはPTA活動、それに自治会活動とともに防災や救急訓練の強化、生活排水対策など環境問題を取り組みを行い、周りの進めもあり市議会議員として幸いにも無投票でスタートさせていただいたのが平成6年であった。

 だから小生は、この福祉分野とか防災・環境問題、教育、或いは自治活動やイベントや祭りなどのまちおこし事業については、目を逸らすわけにはいかないのである。しかし今は、尾鷲市全体が重っ苦しい状態であり、議会の一員として全身全霊をかけて議員として、議会運営も含め全分野で全力疾走を緩めることなく務めたいたいと思うのである。

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  by mikikazu82 | 2009-11-14 14:22 | ミキカズの活動日記

『東京おわせ会』番外編、同級生。

 東京おわせ会の懇親会会場では、輪内中学校卒業以来という古江町出身の同級生とも声を掛け合うことも出来たが、今回の出席で楽しみにしていた同級生が他にもいた。

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 上の写真の右側にいる下地敏邦氏である。小学生から中学生時代までよく遊んだ、いわば竹馬の友のような友人である。
 小学生の頃は、二人で三木崎の近くにある頼母地区までメダカやドジョウを捕りに行ったりハトや小鳥などを飼い比べしたりした仲でもあるが、当時のことを言えば理科系とか工作系が彼は得意であったと記憶している。中学校の卒業から道はそれぞれ分かれた。よく群れていた2学年先輩の川口拓男氏も桑名市で市議会議員となられ活躍しているが、下地敏邦氏も栃木県大田原市で市議会議員としてトップ当選するほどの活躍をしていましたが、3期務めるとあっさりと辞めてしまったという、穏やかそうな見てくれとは違い豪快な漁師町の血を引く三木浦人である。まあぁ・・・、三木浦人は一概さでも有名であるが、この人の正義感や真面目さなどの生きざまには、小生の数少ない尊敬すべき、またいつまでも変わらぬイメージ(青春像)を抱かさせてくれる友である。

 彼の議員時代には、委員会視察や政務調査視察に三重県近辺に来ていただいており、2度も尾鷲市を視察に指定してくれたり、結構ふるさと想いのところが議員仲間を説得していたようで、小生は視察の案内役としてお付き合いをさせていただいたのである。平成9年頃の視察時には、視察報告書の冊子を委員会で作成し送ってくれたりしている。
 会社(東芝)勤めの現在は、わざわざ尾鷲ヒノキを大田原市まで送らせ、その材料で自宅を建築することに余念がないようであった。ちなみに、奥村新産業創造課長の義兄にあたる。

 わざわざ、東京おわせ会に出席するために栃木県から出てきたようであったのに、懇親会の短い時間と小生の立場上、会場全体を動かなくてはならなかったことから、久しぶりに会えた割には懐かしさを親しく語るほどの間もなく、どちらかと言えば気を使わずいたので、後になって惜しいことをしたと悔やんだ。そして、懇親会の終わり頃には、いろいろな人にお礼やらお別れの言葉やら掛けているうちに見失ってしまい、2次会へ誘う余裕すらなかった・・・


 写真左は在郷の同級生、榎本順一氏です。彼との接点と言えば、「同時期に尾鷲高等学校で学んだ」と言うだけの関係で、「カーネル出版」という時代の寵児として、彼の日の出の勢いの如く活躍ぶりに、「同級生にこんなに凄くて生意気なヤツがおるんやぁ・・・」と一時期、尊敬やらその傲慢さ(あくまで、こちらの勝手なイメージ)に、いつまで続くのかいなぁ・・・と思ったりしたような遠い昔が残像としてあったが、彼の一時期の挫折・・・前後の人生について、これなども殆ど知らないのである。

 彼と会話をするきっかけとなったのは、ここ何年か、議会の傍聴やらにきて顔を合わせ、そこは同級生と言うことで一言二言と語るようになった。今回の東京おわせ会への参加は、新会長となられた米田 実氏の尾鷲中学校柔道部時代の後輩ということで誘われたようだったことと、彼自身の東京でのビジネスもあり参加とのようだったが、彼も新たな東京おわせ会を祝福しているひとりでもあった。

 そんなんで、生い立ちは違えども同級生と言うことで、下地敏邦氏を紹介し親睦会を楽しんでもらった。


 下地敏邦氏は、前幹事長の下地義久氏と同じ性でも分かるように、先祖のルーツは、最近、地元で隠れウォーキングコースとして人気場所となりつつある三木浦の盛松地区である。

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  by mikikazu82 | 2009-04-08 13:16 | ミキカズの四方山話

三木小学校の卒業式

 今日は市内の8つの小学校の卒業式である。定例会開会中ではあるが、この日も尾鷲っ子の巣立ちの日なので休会とし、議員のみなさんに在所の小学校の卒業式へ出席していただいた。もちろん教育委員会も余裕をもって各学校へ出向き告辞を述べていただくためでもある。

 小生は母校である三木小学校へ行ってきた。卒業生4人と言う小規模の卒業式ではあるが、十分に真心こもった暖かい式典が進められた。

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 小生が卒業したのは昭和38年3月のことで、1学年30数人いた頃で、現在の幼稚園が輪内中学校の分校だったことから、運動会などの年間行事は小学校から中学校まで合同で行なっていた。

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 今日の卒業生は、子ども太鼓や町の行事で見かけることや参列している保護者と結びつくことから、親しみをもって式典を見つめていた。

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 卒業証書が授与されたあと、本年度から赴任している野間秀治学校長の式辞がおこなわれ、教育委員会からの告辞やPTA会長の祝辞が述べられ、小生ら来賓が紹介された。

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 卒業祝品の授与や記念品の贈呈がおこなわれ、クライマックスは三木小学校独特の別れの言葉の交換である。

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 兎に角、卒業生と在校生が掛け合いで、学校での行事や出来事を、そして卒業生と触れ合ってきたことを情景が浮かぶかのように交わす。まるで卒業生の6年間のヒストリーを聴いているかのような別れの言葉のなかで、みんなが同じ感情で同じ時間を共有し卒業式を称えている。
 きっと、この子らは周りの人に大きな感動や喜びをもたらせたであろうし、地域の人からも大切にされてきたのであろうと思う。こんどは大きく成長する姿に出会うことが楽しみである。

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 やがて、別れの歌が流れ、卒業式が終わろうとしている。

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 小生、「三木小学校で身につけたことを中学生として遺憾なく発揮して、これからもますます後輩から慕われる人になってください」と檄を飛ばし、校歌にある「060.gif輝く太陽の光をうけて、われら海の子 海の子」の巣立ちに、大空へ、「女優になる!看護師になる!」と言う自分の夢に向かって高くはばたけと祈ったのである。

 卒業おめでとう!

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  by mikikazu82 | 2009-03-19 19:30 | ミキカズの活動日記

『東京おわせ会』が変わります。

 今日の午後、『東京おわせ会』の幹事長(事務局)を担当することになった㈱アールコミュニケーションの下地亮太社長が森本 崇副社長を伴い、議長室を訪ねてくれました。

 これまでは三木浦出身のご父君義久氏が、三鬼陽之助先生(故人)などがご活躍していただいていた時代から、この東京おわせ会を盛り上げてくれていましたが、本年の2年毎に行なわれる総会で、会長に就任する米田 実氏(㈱神明/常務取締役生産本部長)とともに新役員として引き継がれます。

 下地氏は、自身が飲食店などを展開する17のチェーン店で海洋深層水養殖真鯛、或いは尾鷲の地場産品などが活かせないかとか、尾鷲の田舎料理が出来る料理人で希望があれば東京で働いていただくとかの構想もあるようです。
 
 また、今年の正月にお会いした米田氏は、これまでの東京近辺の尾鷲人が2年毎に集まるだけの総会でなく、尾鷲人のみならず、尾鷲へのサポーターを募り機会があるたびに尾鷲へつれて来ようとの構想も持たれているようで、下地氏らは、ご父君の生家がある三木浦に泊まらず、2~3日かけて地場産品のみならず宿泊施設なども調査しているようでした。

 もう一点は、下地氏の経営する店のうち、日比谷の店を尾鷲のアンテナショップにするくらい、故郷をバックアップしたいと話していました。そこで、鯛めし海洋深層水関連の話となりましたので、最近小生も気に入っている真鯛茶漬けを紹介し料理レシピもお渡しし、東京で試してほしいとお願いをしました。鯛めしにせよ真鯛茶漬けにせよ、この地方と関東風で味を変えるか、この地方の味を都会で根ざさすかによっても違ってくるが、万国旨いものは旨いように思うが・・・

 東京おわせ会の総会が4月に開催されるが、会長となられる米田氏と補佐役の若い下地氏には、少しでも故郷尾鷲のために頑張っていただくことを勝手ながら願う次第であります。

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  by mikikazu82 | 2009-03-09 22:10 | ミキカズの活動日記

第50回尾鷲市PTA大会が開催されました。

 今年で50回目を数える平成20年度尾鷲市PTA大会が、市中央公民館3階講堂で開催されました。市教育委員会生涯学習課が事務局を受け持つ行事ということで、議会へも案内をいただいたので小生も出席いたしました。

 式典は、開会のことばに始まり市PTA連合会/堀内会長の挨拶、そして来賓として奥田市長と県PTA連合会/野中会長の挨拶が行われましたが、式典が始まる前に、会員のひとりが税理士法違反容疑で書類送検されている奥田市長の式典への出席について自粛を求める発言があり、会場は水を張ったような異様な静けさのなかで始まるというハプニングとなりました。そのせいか、奥田市長の挨拶は記念すべき50回大会と言うめでたい式典の席を忘れたかのような自身の言い訳となってしまい、この先どうなるのだろうかと思ったくらいでした。
 壇上には上記2名のほかには、北澤教育委員長と地元選出の県議会議員(2名)と小生が、そして別席に校長会等の代表等や県PTA関係者などの来賓が出席していました。

 式典は、単組PTAから推薦のあった功労者への感謝状の贈呈などがあり、会場の雰囲気も和らいできたような按配であった。その後、近畿大学人権問題研究所の奥田 均教授による「尾鷲市人権意識調査の結果からみえてくるもの」との演題で行われ、障害者差別や部落差別についての意識調査に見る諸問題を報告していました。

 講演の中で印象的だったことは、「合理的配慮」が出来ているかと言うことや、偏見が十把一絡げ如く決めつけてしまう「ステレオタイプ」など、これらの言葉が何気ない日常のなかで「あっ、そうなのか・・・」と感じることがあり、考えてみると気をつけねばと思うことであった。

 この講演のあとは、アトラクションとして「児童による発表」として、三木浦子ども太鼓の演奏と向井小学校の「神古道」の演舞が披露され、大きな拍手を得ていた。

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 演目は、三木浦太鼓、尾鷲節、尾鷲寄せ太鼓など日ごろの練習の成果を披露し、演奏が終わる度に大きな拍手が贈られていました。

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 向井小学校全学年による「神古道」の演舞は、運動会や熊野古道祭りでも踊ったものを熱演し、会場で見ていた保護者も踊りたくなったのでは・・・

 そんな子どもらの熱演により、「終いよければ、すべてよし」見たいな感じで、式典冒頭の大人の不始末が少しは拭い去れたのだろうかと、子どもらによって大人が少しは救われたような感じであった。

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  by mikikazu82 | 2009-02-22 23:34 | ミキカズの活動日記

西行の歌枕の地、三木浦。

 昔の有名な家人が和歌を詠んだ土地のことを歌枕の地というらしい。俳聖といわれる芭蕉が東北から北陸を巡った「奥の細道」の紀行にでたのも、西行(1118-1190、裕福な武門の出で宮中に仕えた武士であったが23才で出家。その理由は定かでないようであるが、後に高野山へ入り、伊勢、熊野、吉野を旅し、陸奥や四国へと・・・、生活体験に基づく清澄ば自然詠が多く新古今和歌集には94首もとられ、自身の歌集が山家集がある)をはじめとする昔の歌人たちの歌枕をたずねるのが最大の動機だったといわれる。

 実は、芭蕉もあこがれ、歌聖と後世の人々に慕われる西行歌枕の地が尾鷲市にもある。それが三木浦である。

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 (三木浦地区は古来、絶好の風待ちの港として知られていたようである)
 
 西行は歌人として諸国を放浪し、「願わくは花のしたにて 春死なんそのきさらぎの望月のころ」という自作の歌の通り、旧暦2月16日、桜花の散りしきる中の大往生であったという。

 その西行が高野山から新宮に出て、さらに、木の本、二木島を経て伊勢二見浦に仮の宿を結んだのは治承4(1180)年のことである。この新宮から二見に至ったコースは、二木島辺りから船を利用したといわれている。

 西行がのこした歌集「山家集」のなかに、「新宮より伊勢の方にまかりけるに、みき島に舟の沙汰しける浦人(漁師)の、黒き髪は一筋もなかりけるを呼び寄せて」という詞書に続いて、三木浦にて年経たる 浦の海士人 言問はん 波をかづきて 幾世過ぎにし」「黒髪は 過ぐると見えし 白波を かつぎ果てたる 身には知れ海士の2首を収めている。

 風向きの良くなるのを待つ間、船の世話をする老いたる漁民の姿を見て詠んだ歌である。

 三木浦地区は遠洋漁業の基地として栄え県内有数の港であるが、八百年以上もの昔、歌聖西行が立ち寄り2首ものこしていった由緒ある歌枕の地である。

 数日前に高野山へ行ったことや昨日の三木神社の祭りで海へ出たことなど、感覚的にいにしえを辿ったような気がした。

※この文は、『【古道散歩】世界遺産とその周辺』と題した紀北民俗研究会会長 小倉 肇 氏のものを記載させていただきました。

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  by mikikazu82 | 2008-10-14 09:46 | ミキカズの四方山話

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